最初は、ただの記録だった。
目が覚めた瞬間、枕元のノートに昨夜の夢を書きつける。それだけの単純な作業。誰に見せるわけでもなく、ただ「夢を思い出す能力を鍛えると、夢を自由に操れるようになる」という記事を読んで、軽い気持ちで始めただけだった。
最初の一週間は平凡だった。
「駅のホームで見知らぬ老人と話す夢」「歯が抜ける夢」「暗い森の中を歩く夢」。どれも脈絡のない、よくある夢ばかり。
二週間が過ぎたあたりから、違和感が生じた。
夢の中に、必ず同じ黒い影が現れるようになったのだ。
最初は気のせいかと思った。
しかし、影は日を追うごとに鮮明になり、形を持ち始めた。ある夜、ぼんやりとした輪郭の中に「目」があることに気づいた。そして次の夜には、それがこちらをじっと見つめていることに気づいた。
だが、本当の恐怖はそこではなかった。
三週間目の朝、目を覚ましてノートを開いたとき、そこに書かれていたのは――
「もうすぐ会えるね」
俺は、そんな言葉を書いた覚えはなかった。
ページをめくる手が震えた。俺は昨日の夜、確かに夢を見たはずだ。だが、その内容が思い出せない。ただ、目覚めた瞬間の異様な感覚だけが、胃の底に重く沈んでいた。
「もうすぐ会えるね」
まるで誰かが俺の夢の中に入り込み、勝手に書き残したような一文。筆跡は間違いなく俺のものだったが、そんな言葉を書いた記憶は一切ない。
鳥肌が立った。
嫌な予感がして、過去のページをめくる。最初はバラバラだった夢の記録。しかし、改めて読み返してみると、一つの流れがあることに気づいた。断片的なイメージが、まるで繋がり始めるように。
一週間前の夢――俺は鏡の前に立っていた。しかし、鏡に映る俺の姿は、微妙に違っていた。顔の輪郭が曖昧で、目の部分がぼやけている。
三日前の夢――暗闇の中、誰かの足音がついてくる。振り返っても、誰もいない。それでも確かに、背後から息遣いを感じた。
そして昨夜の夢――記憶はない。ただ、言葉だけが残されていた。
「もうすぐ会えるね」
俺は深く息を吸い、冷静になろうとした。きっと疲れているだけだ。夢と現実の境界が曖昧になっているだけ。そう思い込もうとしたが、ノートの次のページを見た瞬間、全身の血が凍った。
「起きても、まだ夢の中だよ」
その言葉が、真新しいインクの跡とともに書かれていた。
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